育児の息抜き程度にヨガに触れていた私がヨガ生活に邁進し始めたきっかけが、アヌサラとの出会いでした。
かれこれ7-8年前です。
コミュニティのクラスから通い、ジムに行く余裕が出来、そこで出会ったヨガの先生がダーマ・ミットラの教え子であったことから、ヨガの精神世界観のようなものに触れ始め、もっと奥深く学びたいと欲が出、"Moving Meditation" (動く瞑想) 的なヨガを探し、たどりついたのが、"flowing with Grace," "flowing with Nature," "following your heart" を唱うアヌサラヨガでした。
それからアヌサラ正式資格を持った先生をスタジオヨガワークスで見つけ出し、わたしのヨガ道が始まりました。
そのクラスのために当時2歳だった次女をプリスクールに数時間預け、アヌサラに邁進。 その頃のわたしにとって、アヌサラはまさに麻薬。 体が開いていく、心が繋がっていく。 クラスを終わった後の何とも言えない恍惚感、抑揚感。 まさにグレースな動き、大いなるものと共に溶ける、心に従う、そのものでした。
アヌサラのトレーニングに興味を持ったものの、アヌサラ資格を地元で取るにはあまりに敷居が高く、とりあえず同じスタジオで登竜門としてティーチャートレーニング200時間を受講。
その同じ年、一時帰国する日本で同じ時期にアヌサラのティーチャートレーニングが創始者ジョン・フレンドから直々に教われるとわかり、飛びつきました。 アメリカであったらあり得ない程近くになれる機会です。 ぼちぼちと教え始めるようになった矢先のこと。
夏至の日の日光でのワークショップから始まり、関東でのティーチャートレーニングの為にジョンを追いかけました。
日光ワークショップで繰り広げられたアヌサラタントラ哲学。 アメリカのアヌサラクラスでは強調されることもなく、200時間のトレーニング内でも簡単な紹介程度に留められた、「タントラ」という言葉そのものに違和感を感じたものの、ヨガは人生に於けるアート、芸術だと繰り返し、Shaktiエネルギー の存在を強調するジョン。
"Let flow Shakti practice, let Shakti take you!"
ジョンの発する言葉は奥深く、彼のエネルギー、繋がっていることから来る言葉の重みに陶酔、酔いしれました。
間髪入れずに受けた日本でのアヌサラティーチャートレーニング。 しかしながら、ここでの経験は、その後のわたしのアヌサラ生活を終わらせるきっかけとなってしまったものでした。
何せ様子が違う。 言葉が違う、やり方が違う。 教えることにも慣れていないのに、初めて耳にする日本語でのティーチング。 混乱をきたし、日本でのトレーニングなのに、外人相手に英語でティーチングの練習するありさま。 でもアヌサラのティーチングの基本は、詩的に言葉を発し、生徒を夢の中へ促していく、というもの。 英語での響きが美しく体の中に入っていた今までのプラクティス。 詩的な言葉を英語でがんばってはみたものの、ネイティブには到底及ばない。 日本語に置き換えてみると、何故かクサいセリフを吐いているよう。 耳に入ってくる日本語でのティーチングは、まるで女優が台本の台詞を吐いているみたい。 棒読み? やっている自分がおかしくなり、呆然状態だったトレーニング中。
当時、教えるヨガと自分のプラクティスのヨガはまったくの別物だということを気づき始めた矢先。 トレーニングによりトラウマを抱えてしまい、今後どうアヌサラと向き合って行くべきか自分の中での大きな課題となってしまいました。 わかったことは、ビジネス臭の強い日本でのアヌサラは振り返ることがないだろうということ。
結局、アメリカに戻っても、それまで取っていたアヌサラの先生が産休に入っており、別のアヌサラの先生は他州に移転、私自身教えることが忙しくなり、トラウマに蓋をすることを選び、わたしのアヌサラ人生は終焉を迎えました。
ただジョンの動向は常に気にかけ、アヌサラサイトも時折チェックしてました。
そしてここ数年、アヌサラヨガクラスやワークショップそのものが少なくなっている気もしていました。
そんな中、アヌサラサイトから送られてきたニュース。 ジョンがしばらく教えることを休むということ。
一体何事か、と一連のニュースを掘り出し、真相がつかめました。
アヌサラ内に於いて相当ショッキングな出来事が繰り広げられ、アヌサラの今後の進退がジョンを知る人なら誰もが気になるという、アメリカヨガ界では激震的な動きとなっておりました。
わたしの見るところでは、経営不振となってきたアヌサラの今後のために、タントラ哲学の重要要素である「師弟関係」の名のもとに、理不尽な経営方針を弟子に強要、それが実は法に触れるやり方であったこと、おかしいと感じた弟子たちが次々とアヌサラを脱退。 アヌサラを抜けることは、それまで捧げたアヌサラへの献身、そしてキャリアを捨てること。 そして匿名でのアヌサラ内部告発。 この内部告発の内容は、タントラの教えのひとつである秘技の実践そのものが言葉巧みに献身的な生徒をあやつり、内部で行われていたというもの。 タントラそのものを知らず、現代の言葉に代えれば、パワハラ、セクハラをジョンがやっていたということ。 離脱した先生曰く、アヌサラ内には「キャンプ」が二つあり、性的行為を含む秘技を実践していた「キャンプ1」,そういった要素は一切なくただ純粋にひたすらにジョンの教えを学んでいた「キャンプ2」が存在していたということ。 その有名な先生は、「キャンプ1」にいたらしい。
500時間トレーニングでタントラヨガに奥深く触れ、何となく理解したつもりのわたしにとって、アヌサラが本来のタントラ行為を裏でやっていた、というのは、やっぱりそうなのか、と、あのワークショップで感じた違和感の実態をこの告発で確認することができました。
タントラヨガは、それまでのまわりくどい二元論スートラの世界とは別物で、Non-Duality, 一元論。 スートラパタンジェリに見られる二元論が神との合一ではなく、現象世界を聖なる精神(我)から区別するというものであるのに対し、一元論であるタントラは、全てはひとつである、と説い二元論に見られる白黒的要素は、イルージョン、すなわち幻、幻想、錯覚の世界だと。
そして神との合一を早めるために一般向けに提唱されたのがタントラヨガであり、二元論のスートラが理知的、理性的、地道に少しずつ実践していくことによって本来のヨガの目的に到達していくという今生の凡人では到底、到達出来得ないやり方であるのをくつがえしたのが、技法的、呪術的なタントラヨガ。 強引で実践レベル、密教であり師弟関係を重視し、性魔術の世界であり、それこそShakti(性力)エネルギーを用い、プラーナ(気)を駆使し、真理は肉体に宿る、として覚醒、解脱を目指すのがタントラの目的なのです。
アヌサラが公にタントラ哲学を基本とした教えである、と説いているのであるから、ジョンが裏でその行為を本当にやっていたとわかってもまったく不思議ではなく、この出来事こそまさにヨガの本当の裏の世界。 お洒落なヨガウエアに身を包んでモデルのような体型や雰囲気に憧れて、きれいなヨガマットを持って闊歩するのに憧れているうちは、ヨガの世界に身を置かない方が身の為。 ヨガの世界がどれだけ危険で危ない世界か、このアヌサラの出来事は今のヨガ界への警鐘のひとつになるのではないでしょうか。
というよりも元々のヨガはそういった世界が基本。 ジョンがドラック(麻薬)のディーラー的要素があったにせよ、そういった要素がヨガにはある、と知ってから、ヨガに興味のある人は踏み出して欲しい。 そして先生をよくよく観察して、危ない種類の先生なのか、危ない部分を知りながらそういった部分を排除して教えている先生なのか、何もわからずただオシャレで素敵という理由で教えている先生なのか見抜く目を持ってほしい。
恐らくこの事件をきっかけにビクビクしているヨガ先生はゴマンといるはず。 次に告発されるのは自分かもしれない、、、、とか。 有名な先生でピュアっぽく振る舞っている方は危ないかもしれませんね。
かれこれ20年近く前、わたしが初めてインドに訪れたとき、何もわからないおねーちゃんだと思った宿屋のインドのおにーちゃんから、日本にブツを運んで欲しい、と頼まれたことがあった。 白い粉だけど、おみやげに混ぜて、日本の山口さんに運んで欲しい、と。 そのおにーちゃんは、街でヨガを教えてあげるよ、とお客さんを街で勧誘していて、ヨガがやりたかった私は付いていって、ヨガを教えてもらおうと思ったら、まずは体をほぐしてから、とマッサージ屋に変わってしまった。 個室でマッサージは危ないとすぐに断って部屋を出たけど、見た目も雰囲気も良い感じのおにーちゃんで、裏では何やってるのかわからない。 ジョンがドラックにも手を出していたとわかり、あの時のおにーちゃんとだぶってしまった。
今回の出来事は、今まで封印していたわたしの中のアヌサラが、とぐろを巻いて眠っていたへびを起こしたかのように、これまで以上にアヌサラの教えに興味が湧いてきた。 トレーニングで取ったノートを読み返してみようと思う。 秘技に手を出す気は一切ありませんが。
そして今年はやはり2012年なんだなと。 闇の世界は暴露され、膿み出しの時。
With Bressings,
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