先日、ヨガを教えさせて頂いている、お友だちの生徒さんが、アラスカの写真家・星野道夫さんの著書「旅をする木」という本を貸してくれました。
彼女とは、ひょんなことから星野さんの写真集の話で盛り上がり、お互いアラスカ好きだということがわかり意気投合したのです。 旦那さまと一緒にアラスカを一ヶ月かけキャンプしながら回ったこともあるそうです。 何ともうらやましい。
わたしの方は幾度かアラスカ行きを計画したのですが、その度に計画倒れで終わってしまい、子育てと共にアラスカはどんどん遠くなるばかりです。
それでもパソコンの横には、常に星野さんのポストカードがあります。
いつかはきっと。 という想いと共に。
わたしが星野さんの写真に惹かれるのは、大自然のアラスカへの想いだけでなく、彼の写す被写体には魂が宿っているからなのです。
彼の写す動物、自然、木。 全てに命があることをそしてその魂を感じることができます。
以前でしたら、こんなことはおこがましくて、一切口に出すことはありませんでしたが、ここはヨガブログ、開き直って、「魂」という言葉を使います。
そして今回、手にさせてもらった星野さんの著書。 彼は文も書いていたのか、と、新たなる発見でした。
今まではただ視覚から、うっとりさせてもらっていましたが、「旅をする木」を読み進むにつれ、更に深い星野さんの魂に触れることができました。
アラスカという厳しい自然環境の中で泳ぐように生きた星野さん。 自然と同化し、 自らも溶け込み写真を撮り続けたのは間違いありません。
そして彼の写す被写体というのは彼の人生観そのものだったんだと本を通して知ることができました。
エビソードのひとつに「ワスレナグサ」という章があり、そこに、アラスカに自然番組を撮りに来たTVスタッフとのやりとりがあります。 撮影が思うように進まずいらだつスタッフに星野さんが言います。
「相手は自然なんだから、(うまく撮れなくても)それはしようがないじゃないか。 たとえば、あと10年とか20年たった時にふりかえってみて、その番組が少しうまく撮れたとか、撮れなかったなんて、きっとそれほど大した問題ではない、、、それよりも一日のうち15分でも30分でもいいから、仕事のことをすべて忘れて、今ここに自分がいて、花が咲いていたり、風が吹いていたり、遙かな北極海のほとりでキャンプしていることをしっかり見ておかないと、こんな場所にはなかなか来れないんだし、すごくもったいない気がする、、、、、、 私たちが生きることができるのは、過去でも未来でもなく、ただ今しかないのだ。」
星野さんは、「今」を撮り、「今」を生きていたんだな、と。
この本のあとがきを書いた翌年1996年に、撮影中ヒグマに襲われ自然に還った星野さん。
それでも彼の魂は、彼の作品、著書を通して間違いなく生きています。
思いをはせているうちに、亡くなった星野さんを扱ったドキュメンタリー映画「地球交響曲ガイアシンフォニー三番」を思い出しました。 確か三番のテーマは、「魂を語ることをおそるるなかれ」。
10年以上前に作られたドキュメンタリーですが、遅ればせながら、おそれることなく、ようやく「魂」を語れるようになった自分がいます。
そして、気づいたことがあります。 魂を語ることを恐れていた以前の自分は、アラスカには呼ばれていなかったんでは、と。
よく、聖地には、呼ばれた人、準備が出来てる人にのみ道が開ける、っていう。 それです。
少しは近くなったかな。
(写真は星野道夫さんのポストカードから)
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